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      <title>なんでも追求</title>
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      <description>おにぎり、おむすびいろいろ。</description>
      <language>ja</language>
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         <title>連盟と主権国家　2</title>
         <description>連盟規約は、国際紛争を平和的に解決するために、仲裁裁判、司法的解決、連盟理事会の審査付託という3つの方法を設けました(第12条)。


また、加盟国が戦争に訴える可能性を厳しく制限しようとし(第12条、13条、15条)、約束を無視して戦争に訴えた加盟国に対しては制裁手段を講じることまで定めたのです(第16条)。


このほか連盟規約は、軍縮(第8条)、人道、社会、経済の各分野での国際協力(第23条)についても取り組むことにより、国際関係が緊張や紛争を招くことを未然に防こうとする意欲をも示していました。


・・・以上の連盟の性格を、先にも紹介したクロードという学者は次のように結論づけていますが、見事なまとめ方だと思います。


「連盟は、国家システムの下でその運用方法に思い切った変更を持ち込もうとしたものであり、このシステムに取って代わることを意図したものではなかった。


連盟は、平和および安全という目的の達成は、主権否認という革命的手段によってではなく、主権を持ち、自らを治める人民が持っている建設的、協力的可能性によって可能となる、という信念に基づいて創立された」。

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         <pubDate>Thu, 19 Jan 2012 14:07:39 +0900</pubDate>
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         <title>連盟と主権国家</title>
         <description>連盟は、国家を中心とする国際社会という、それまで続いてきた仕組みを変えようとするものではなかったということです。


連盟の創始者たちは、国家を中心として動く国際社会は基本的に健全であり、引き続き機能できるものと考えていました。


第一次大戦については、起こってはならない事故が起こってしまったという受け止め方が主なものだったといいます。


・・・そのような受け止め方からは、事故が2度と起こらないようにするための制度さえ作れば足りる、と考える雰囲気が一般的だったといわれています。


いうならば、国際社会の中心にあるのはやはり国家であり、連盟はいわばその補助的存在という位置づけだったといえましょう。


しかし他方、連盟を補助的な存在と捉える考え方が根底にあったとはいっても、国家中心の国際社会の中に、国家問の紛争を平和的に解決することを目指す連盟という国際機構ができたことの意味は決して小さいことではありません。


・・・というのは、従来であれば、すべて関係する国家間で処理される以外になかった政治・軍事問題が、連盟という場で、直接には利害関係を持たない国家の参加も得て、いわば客観的に処理する可能性が初めて生まれたのです。


少し固い表現でいえば、国際関係を組織化するための試みが初めて意識的に行われた、ということを意味したといわれる所以です。


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         <pubDate>Mon, 19 Dec 2011 14:07:12 +0900</pubDate>
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         <title>国際連盟について考える　2</title>
         <description>連盟は、民主主義という価値観と結び付けられていました。


連盟は、それまでは秘密のべールに閉ざされていた国際関係を、世論の影響力によって民主的なものとすることを目指そうとした一面があると指摘されます。


公開外交は、そのような主張の一つの現れともいえるものでした。


ウィルソン大統領は、「連盟とは世論の法廷である」と述べたといいます。


この民主主義を強調する連盟の考え方はまた、民族自決を重視する立場にも反映されました。


・・・以上のような経緯で出来上がった連盟は、国際社会の中心的存在である国家とはどのような関係に立つものだったでしょうか。


また、国際関係の中でどのような役割を果たすことが期待されたのでしょうか。


最初の点に関してとくに強調しておく意味があると思われることは、次のことです。


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         <pubDate>Sat, 19 Nov 2011 14:06:43 +0900</pubDate>
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         <title>国際連盟について考える</title>
         <description>諸国が参考にしたのは、大国主導の欧州協調でした。


大国が理事会で常任ポストを占めること、総会は当初4年または5年の間隔でしか開催されることが考えられていなかったこと等は、このような発想の現れであったとされています。


・・・しかし反面、中小国が、数の増大と大国の思惑の違いを利用して、大国との間でバーゲニング・パワー(交渉力)を発揮したという事実も無視できない面があります。


これら諸国が決定的な影響力を持つには程遠かったとしても、規約の内容にある程度の影響を及ぼしたことは事実です。


理事会に4つのポストを獲得し、総会における全加盟国の平等な参加が規定され、議決に全会一致が必要とされたことなどは、その反映だったといえます。


当時の時代背景の影響は、次の点でも明らかでした。


つまり連盟は、第一次大戦を経た国際社会の将来に対する願望や理想を、組織的に受け継ぐものであったということです。

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         <pubDate>Wed, 19 Oct 2011 14:06:00 +0900</pubDate>
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         <title>栄光と挫折　3</title>
         <description>コングロマリットそのものは、企業発展の歴史のなかで深い刻印を残しました。


これらの企業は、たとえひとときにせよ、意表を突いて司法当局やFTCの裏をかき、権力と巨大性のうえに安眠をむさぼる既存ビッグ・ビジネスを出し抜きます。


それだけでも歴史の舞台に登場した値打ちはあったのです。


コングロメレートに対してはいろいろな批判が加えられ、評価が与えられましたが、まだ歴史の診断は下されていません。


しかし、多くの分野に波紋を投じたことだけはたしかです。


ではコングロマリット・フィーバーは終わったのでしょうか。


新しい情勢について、ソーベルは次のように分析しています。


「・・・コングロマリット運動は1970年代はじめまでに消滅したにもかかわらず、合併熱は冷めなかったのである。


むしろ、いままでとは異なった型のプレイヤーとともに、70年代末には別の形をとって再現してきたのだ。


一部のものにとっては、この合併熱はコングロマリット運動からの離別を示すものでしたが、他のものにとってはそれは必然的で論理的な生まれ変わりであり・・・


すべての健全な運動のように、新しい環境への適応が可能であること、集中化への運動が終わったものではないことを示すものである・・・。」


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         <pubDate>Sun, 11 Sep 2011 11:15:59 +0900</pubDate>
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         <title>栄光と挫折　2</title>
         <description>彼らは電子機器を主体とするコングロマリット、テレダインを興しました。


このようにして、すぐれた人材が他社から引き抜かれたり独立したりして、リットンを離れます。


彼らが離れたあと、若年の実力者がその穴を埋めている間はよかったのですが、次第に人材にバラつきが生じたり、絶対数が減るにしたがって弱体事業所に不採算部門があらわれたのです。


リットンだけが業績を悪化させたのではなかったのです。


1960年代末に経済成長が止まり、景気が悪化するに伴い、10年以上の長きにわたったコングロマリットの運動もばったりと力を失ってしまいました。


たとえば、リットンとともにその派手な急成長で注目されたLTVも業績が悪化し、「魔術師」とまでいわれた一代の怪物ジェームズ・リングも会社を追放されてしまいました。


コングロメレーターたちの演技は多くの観客の眼にさまざまな印象を焼きつけながらも、舞台から消えていきました。

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         <pubDate>Wed, 31 Aug 2011 11:15:24 +0900</pubDate>
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         <title>栄光と挫折</title>
         <description>とどまるところを知らずに急成長を遂げて、1967年には売上高16億ドル。


フォーチュン・リストで産業会社中第44位となったリットン社も、急に様子がおかしくなってきました。


1968年1月に、リットン社ははじめて、第14半期の利益が予想よりも大幅に低下したことを発表しました。


一時は100ドル以上に達したリットン株は、68ドルに落ちました。


株はさらに、1974年までに3ドル以下まで下がってしまいます。


成長にブレーキがかかった原因は何であったのでしょうか。


直接的には人材の流出と、造船や事務機器などの主力業種に不採算部門が出てきたことでした。


人材流出では、アッシュとともにヒューズ・エアクラフトから来た技術者のヒュー・ジャミーソンが、企業買収の速度を落とし、内部の体制固めをするよう助言しましたが、容れられず1958年に辞めました。


ヘンリー・シングルトンやジョージ・コズメツキーといったすぐれた科学者たちも、内部の研究開発より外部企業の買収に力を注ぐ会社の方針に不満で、会社を飛び出しました。


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         <pubDate>Sun, 31 Jul 2011 11:14:37 +0900</pubDate>
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         <title>昔ながらの農業で自給を目指す　4</title>
         <description>青年部はその名の通り若者の集まりで、活動力もあります。


その他にも直売グールプもあり、個人で引き売りしたり直売所を持っている人もあります。


その人たちをすべてひっくるめても地域社会の中では、2、3%です。


圧倒的多数派は農業以外の人です。


そんな中で農業をやって行くには、百姓だけで片付く問題ばかりではなく、むしろ、農業以外の人々に農業を少しでも理解してもらわなければ片付かない問題の方が多いのです。


少なくとも若い後継者のコンセンサスにはなっていると思います。


問題はどうやったらいいのかということなのです。


そこで、私たちの向ケ丘青年部ではより多く、より深く農業を理解してもらおうと、「ジャガイモ学校」というのを開いています。

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         <pubDate>Mon, 27 Jun 2011 13:59:00 +0900</pubDate>
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         <title>昔ながらの農業で自給を目指す　3</title>
         <description>百姓だけでも利害が絡んでなかなかまとまらないのに、それ以外の人々を含めて何ができるんだろうか・・・・。


考えれば考えるほどわからなくなってくるのです。


でき上がってしまえば簡単なことかも知れませんが、そこに行きつくためのとっかかりを見つけ出すのが難しい。


しかし、自分で食い物を自給し、地域社会に根を張った生活をしていくことで自分の意志を持続していけるなら、なんとかなるんじゃないかという期待感もあるのです。


それがなければ実際問題としてやっていけないんじゃないかと思います。


今、地域の仲間10人で、生活クラブ生協川崎ブロックに野菜を出荷する組織、農産物流通組合をつくっています。


また地域の農業後継者の集まりで、青年部というのもあります。


構成は重複するところもありますが、農産物流通組合は生協出荷が中心であり、老・壮・青の複合体です。


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         <pubDate>Fri, 27 May 2011 13:57:50 +0900</pubDate>
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         <title>昔ながらの農業で自給を目指す　2</title>
         <description>有機農業はただ作るだけでなく、作った物を通して人と人との有機的な関係を作り出して行こうという考えも込められていると思います。


昔ながらの農業プラス人と人との有機的関係を作って行こうとする有機農業。


それと自給して行こうという発想を原点にこれからやって行こうと思っています。


先ほども三里塚のところで述べたと思うんですが、地域社会のことが今一番興味があります。


私自身は、「地域社会」主義なんて言っているんですが・・・


自分の住んでいるところで、自分が今まで生きてきた中でいろいろ考えさせてくれた、大学でのことや何かを、共に生きていく地域社会の中でどれだけ具体化できるかということです。


「自主管理・自主運営」から自給へということが個人レベルではかなりストレートに具体化して行ける可能性をもっているんですけど・・・


地域社会の中で具体化していくとなると、何をどうしたらいいのかなかなか見えてこないというのが現実なのです。


共同社会とか自主管理社会なんて言葉で言ってしまえば、きれいにキマッテくれるんですが、複雑に利害が絡んだ社会で自主管理などができるのだろうかと思ってしまう。

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         <pubDate>Wed, 27 Apr 2011 13:56:50 +0900</pubDate>
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         <title>昔ながらの農業で自給を目指す</title>
         <description>これは、とあるお百姓さんのお話です。



・・・実際の土というのはいろいろな要素を含んでいて千差万別であろうと思いますし、気候だってかなり異なるだろうと思います。


ですから、その田んぼや畑ごとに農法とかいうものがあってもいいくらいなもので、それを一つの農法で語ってしまうなんて、あまりにも現実を知らない人の発言じゃないかと思います。


農薬や化学肥料を使っていればそれでいいというわけじゃないんですが、ただ堆肥を使えばいい的な発想は避けたいと思います。


その土地、土地の条件を有効に使って、うまくて生産性の上がる物を作ろうという努力が大切なんじゃないかと思います。


それを見つけ出せないでいると、何とか健康法と同じで、振り回されるだけなんじゃないかと思います。


有機農業とか自然農法に興味をもって農業をはじめた面もあるんですが、実際には化学肥料も農薬も使っているわけで、有機農業とは呼べないだろうし、あまり好きな言葉でもないのです。


強いて言うなら、昔ながらの農業をめざしてということで、少しでも農薬や化学肥料を減らして、自己満足でもいいから自分が食ってうまいと思える物を作りたいと思っています。

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         <pubDate>Sun, 27 Mar 2011 13:55:52 +0900</pubDate>
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         <title>バクテリアを増やさないために　11</title>
         <description>低い温度で長い時間をかけるのはバクテリアを殺すのに効果的ではありません。


たとえば、


■とろ火で煮る。


■ローストする。


■蒸焼きする。


けれども、オーブンの温度計または棒状温度計を使って中心温度がまちがいなく75度Cになったことを確かめれば、ゆっくりと加熱してもいいでしょう。


料理の本を見ると75度Cまで熱したものをウェルダン、70度Cをミディアム、60度Cをレアとしているものが多いですね。

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         <pubDate>Fri, 04 Feb 2011 13:31:28 +0900</pubDate>
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         <title>バクテリアを増やさないために　10</title>
         <description>食べものの中心温度が75度Cに達すると、大部分のバクテリアが死ぬため、安全になるといえます。


温度は高ければ高いほどバクテリアは早く死ぬのです。


すなわち高温で短時間の加熱がもっとも安全であろうということになります。


たとえば、


■油で揚げる。


■煮る、ゆでる。


■圧力をかけて加熱します。


■蒸す。


これらの方法がすべて&quot;湿式であることに注目しましょう。


油で揚げるのは200～250度Cに油の温度を上げるので、明らかにもっとも熱いのです。


しかし100度Cで煮る場合、同じ温度での乾燥状態よりは早く加熱されます。

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         <pubDate>Mon, 10 Jan 2011 13:30:32 +0900</pubDate>
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         <title>バクテリアを増やさないために　9</title>
         <description>10）残りものの再利用。


食べものの加熱・冷却・再加熱をくり返すと&quot;危険温度帯&quot;を何度も通過させることになります。


生き残っているバクテリアの増殖のチャンスはそれだけ多いことになります。


・・・以上のことから温度コントロール（正しい加熱、注意深い解凍）が食中毒原因のうちいかに重要な部分を占めているかがわかります。


温度管理の重要性だけは少なくとも覚えておくべきです。


評判がよいといわれている料理の本には必ず加熱時間と加熱温度の両方が書かれています。


どちらかだけでは役に立ちません。


これはバクテリアを熱で殺すときもまったく同じです。


よほどの高温でもない限り、ある温度に達したからといってすぐに全部が死ぬわけではありません。


ただ死ぬ率が増える率を上まわるので正味の数は減少します。

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         <pubDate>Tue, 04 Jan 2011 13:29:21 +0900</pubDate>
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         <title>バクテリアを増やさないために　8</title>
         <description>5）加熱不十分。


一般的には肉や骨つき肉の中心部が75度Cにならないと、バクテリアが死んだとは言い切れません。


6）冷凍品、とくにその鶏肉の解凍不十分。


熱を通しても氷が解けるだけで食中毒菌を殺すまでは温度が上がらないことが多いのです。


1～2の例外はありますが、凍った状態で料理すべきではありません。


7）ナマの食品から加熱ずみ食品への汚染。


一例を上げると、冷蔵庫内で加熱ずみの骨つき肉の上に生肉を置いた場合です。


その生肉は肉汁を加熱ずみの肉へたらし汚染するでしょう。


かりに再加熱しても不十分であればバクテリアは死なず、そのまま食べれば当然口の中にはいることになります。


8）熱い食べものを63度C以下で保温してしまう。


バクテリアは5度Cから63度C(&quot;危険温度帯&quot;)の間であればすぐに増殖します。


食べものを鍋の中や台所の片すみでなまあたたかいまま放置することはバクテリアに絶好の機会を与えます。


9）食べものを扱う人が衛生的でない場合。


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         <pubDate>Fri, 10 Dec 2010 13:27:57 +0900</pubDate>
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